今回紹介する本はこちら。結論から言うと、DXに限らず、「組織を変えなければ!」「なんとか組織の効率化をしたいけれども、上司やステークホルダーの抵抗が強すぎる」という方は絶対に読むべき本です。また、何故か最高のシステム化の提案が通らないシステムエンジニア、ITストラテジストにも読んで欲しいです。
もしあなたが中小企業診断士やコンサルタント、マネジャーのような地位にいるのであれば悩んでいなくても読んでおくといいでしょう。もしかしたら、自分が厄介な人間である、ということに気づけるかもしれません。
ただ、もし、中小企業診断士を目指している「途中」であったら、読まない方が無難かもしれません。かなり仕事のやりかたに強い影響を与える内容なので、試験のセオリーから外れた回答をしてしまい、2次試験に落ちてしまう……かもしれません。
本の内容に入る前に
この書評を書いている人
- 中小企業診断士
- 元々IT系エンジニア、WebデザイナーなどITに強い人材
- 診断士の実務従事などでもITに強い人材として扱われる専門家
- 企業内コンサルとして、多数のITツールの導入、開発経験を持つ
- 詳しいからこそ、DXという言葉に慎重
DX とは
いずれ個別に記事にしたいと思いますが、DX, デジタルトランスフォーメーションには明確な定義があるようでありません。各団体や本などが定義している内容が異なっているので、共通認識の構築も難しいです。
ただ、筆者としては、デジタルという語に振り回されるのでなんとなく難しいと感じています。
どちらかというと、トランスフォーメーションという語に重きを置くと理解というか、定義しやすいと思います。その中でも特に、「昆虫の変態」という訳語がぴったりと考えています。業務の行い方、あり方が劇的に変わる……地面の中で落ち葉や木屑と食べていた幼虫が、ある日地上に出て羽化するような劇的な変化を起こす。ということですね。
もうちょっと分かりやすく言うと、業務が断続的な変化をする。製品で言うと、「破壊的なイノベーション」を起こす。あるいはそこまでいかなくても、生産性が(通常予測される)規模の経済性や経験曲線効果を大きく上回った非線形の向上を果たすといったイメージです。
正直なところ、筆者が DX, デジタルトランスフォーメーションについてここまで明確な定義を自分の中に持ち、人に伝えられると確信を持てたのは、本書「学習する組織 ― システム思考で未来を創造する」を読んだからと言って過言ではありません。
「学習する組織 ― システム思考で未来を創造する」の内容
この書籍は、チームの中核的な学習能力で重要な要素を5つのディシプリン(訓練や鍛錬といったような意味)に分割して紹介しています。この5つのディシプリンは、「複雑性の理解」「内省的な会話の展開」「志の育成」にグルーピングされます。
しかし、本書の序盤で著者が繰り返し警戒しているのは、「学習」という言葉が適切に読者に理解されるかということです。私自身も、この点について大いに同意します。
つまり、学習という言葉が学校で習う、「正解を答えなければいけないつまらない知識の詰め込み」と捉えられると本書の内容は正しく理解されませんし、そもそも、今日のマネジメントの体系は教育の一般体系と深い結びつきがあると著者(というよりは、著者が尊敬するW・エドワーズ・デミング博士。TQMなどで知られる)は考えています。
翻って考えると、そもそもこの本が目指すのは、「マネジメントの一般体系」の破壊的な変革、イノベーションです。つまり、 DX について書かれた書籍ではありませんが、この本の内容とデジタルツールを使えば、より効果的に組織にトランスフォーメーションを起こせると言えます。
また、本書でいう組織は、会社のような営利組織に限りません。この記事の切り口は DX ですから営利企業の視点になりがちですが、地域のDX, 学校のDX, または家庭の DX といったより大きな(あるいは小さな)組織のDXにも活用できると思います。もちろんデジタルのつかないトランスフォーメーションについても同様です。
第一章、第一段落から読者を試してくる
ビジネスレターでは、最初の文章は次の文章を読ませるのが最大の目的である、とされます。
しかし、この本では(序文を除く)第一章の第一段落から読者の選別を行います。曰く、
私たちは幼いころから、問題を細かく分けよ、世界を断片化せよと教えられる。(中略)そして「全体像を見よう」とするときには、その断片を頭の中で再び組み立て、すべての要素を並べて一つにまとめようとする。(中略)これは無駄な作業だ
序文で「この本よさそうだな」とか、「何がなんでも組織に変革をもたらす力・ヒントが欲しい(楽介はこのパターン)」とかいった強い動機がないとこの時点で読むのをやめたり、以降の文章すべてを疑ってかかりたくなりそうです。そのくらい、常識外であると思います。
特にDX人材として期待される、ITに強い人材、システムエンジニアやプログラマーからすると、「関数は一画面に納まる長さまで」なんて常識もあるくらいで、分割しないことは考えられません。また、マーケティングや経営の視点からしてもセグメンテーションは常識です。経営の基本である選択と集中のためにも、分割して理解することは必須であると言えます。
ですが、本書の著者はこれらの分割により、互いに無関係である力によって世界が構築されているという思い込みを打ち破るために本書のツールがあると喝破します。
この最初の数段落を心底から理解するのはなかなか難易度が高いです。しかし、その難しさこそが、あなたが成し遂げようとするDXに抵抗する(ように見える)勢力が感じているどうしようもない難しさ、心の中の抵抗と同じものです。
本書の優れた点はまさにこの点、最初に組織が変革する上で直面する困難を読者につきつけてくるところにあると言うこともできるでしょう。
7つの学習障害
本書は、組織の設計、管理、これまで教えてこられた考え方や広い意味での相互作用が根本的な「学習障害」を生み出しているとし、それを7つの学習障害と定義しています。
- 私の仕事は○○だから
- 悪いのはあちら
- 先制攻撃の幻想
- 出来事への執着
- ゆでガエルの寓話
- 「経験から学ぶ」という妄想
- 経営陣の神話
これらの学習障害は、「ゆでガエルの寓話」や「悪いのはあちら」「経験から学ぶという妄想」のように有名であったり分かりやすかったりするものもあれば、「先制攻撃の幻想」のように一般的な常識とかけ離れているものもあります。「経験から学ぶ」については、
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
と、ドイツのビスマルクが語ったとされますが、実際には多くの人が経験に学ぶことをよしとしているように思います。診断士試験についても、「過去の成功体験を再現する」という会社の歴史から学んでいるのか、経験から学んでいるのか、微妙な解法の定石があったりします。
これは、その方が意志決定者に受け入れられやすいというソフト面の事情を大いに含んでいると思いますが、こういった今の定石から外れた考えが含まれるので、診断士試験をこれから受ける方には、余りおすすめしない理由です。
また、ビール・ゲームのリプレイを通して、いかに構造、システム全体を理解していないとこれら7つの学習障害が事態を悪化させてしまうかについて多くの紙面を割いています。かなり長い説明となりますが、この部分を読んで反省したり、何故 DX がうまくいかないのか理解したりする人は多いでしょう。
なお、私は勝手にITシステムの運用を変える人に「腹痛を誤魔化すために痛み止めを飲み続けるみたいなことをするな」と言うのですが、似たような例が出て来て笑ってしまいました。
5つのディシプリン
7つの学習障害に対応して、「学習する組織」を作り上げることができる能力を、5つのディシプリンとしており本書の中核を為しています。とはいえ、ここに至るまでの序文から7つの学習障害までをしっかり理解できた場合は(経験し、対決した経験が豊富であれば)5つのディシプリンは「知っていることを解説してくれた」という気分になると思います。実際私はそう思いましたし、そうした感覚がU理論にもつながってくるのだと思います(U理論については本書でも少し触れられています)。
5つのディシプリンは、
- システム思考(システムシンキング)
- 自己マスタリー
- メンタル・モデル
- 共有ビジョン
- チーム学習
となっています。それぞれが学習する組織において、(そして DX を志向する現代の私たちにとって)重要な要素なのですが、本書の面白いところは「システム思考」という論理的・客観的な考え方とその他のいわゆる「心構え」や「価値観」、「ビジョン」といった人間のソフトな部分を同じレベルで論じているところです。
さらに、システム思考を用いて他のディシプリンを分析し、また、システム思考についても(科学的なシミュレーションなどにも用いられるにも関わらず)組織の中の人間的・精神的な作用について適用されている点です。
これは言い換えると、人間関係の図を、その心の動き方を含めて図解するような試みです。通常、業務やデータの流れのみを記述するシステム思考の図はもちろん、フローチャートやスイムレーン図とは違った図で興味深いです。
一方で、システム思考で使われる因果ループ図を使っているにも関わらず、各関係をあらわす矢印において、Same(同じ方向に動く)、Opposite(逆方向に動く)といった記号がない。また、どのようなループだと強化型のループで、どのようなループだとバランス型のループになるかの説明が、抽象的で明確な理解が難しい点が問題として感じられる本です。
システム原型を用いて、問題を全体的に抽象的に理解するためかもしれませんが、本文の記述と因果ループ図の図示が一致していると納得するのが難しい(副読本がいる)と感じました。DX を推進する上で、自分で因果ループ図を作成しないと行けない方は、システム思考に絞った参考書を1冊、副読本とするのがいいかもしれません。私は、以下の本を参考にしました。
また、深い学習サイクルへのアプローチの一貫性のある戦略として
- 基本理念
- 理論・ツール・手法
- 組織インフラにおけるイノベーション
が三つの要素として挙げられています。
一読しただけだと、「組織のインフラ」というのが分かりづらいですが、正式な役割やマネジメントの仕組みなどと述べられており、組織構造やマネジメント体系、キャリアに対する考え方を述べていると考えられます。これにより、物理的なインフラと同様、エネルギーや資源の流れを形作るとしています。
また、本書の中で繰り返し(形を変えながら)強調されている点に「振り返り」、「長い時間軸で考える(システムの遅れに着目する)」があります。特に、長い時間軸について、現在のビジネス、DXは早急な結果を求められていて対応が難しい点があります。
しかし、システム思考と関わりの深い地学(圏という言葉でシステムが登場)では、重要な概念にタイムスケールがあります。地学においては、扱う範囲が惑星レベルになることもあり、数十万年単位のタイムスケールから、数日・数時間単位のタイムスケールまで扱う必要があります。この点においても因果ループ図の説明と同様、著者が余りにも当たり前のこととして理解しているからこそ、読者は著者に期待されるほど直感的にその重要性を理解できないように思います。
とはいえ、本書の後半40%ほどは、初版が出た後に集められたインタビュー、具体例が豊富に掲載されています。著者が認める通り、この手の学習に実践に勝るノウハウなどはありませんが、その一助となるように具体的な例、方法、その場で行われたことなどが掲載されています。自分事として読むのは大変ですが、時間をかけて読み込むことで振り返りや時間軸に対する理解を含め、実践の役に立ちそうです。
終わりに 総括
DX に限らず、またその規模の大小によらず組織に変革をもたらす全体の指針となる本です。一方で、個別のディシプリンであっても本書だけで完璧に理解し、適用できる人はそう多くはないのではないでしょうか。
かなり概念的な本ではありますが、それでも学術的な研究に則った本ですので、いわゆる自己啓発本のように「学習する組織にしてやるぞー!」なんて意気込むための本ではありません(トップがそういうことをトップダウンで言うことに対する警句も掲載されています)。
参考文献、5つのディシプリンになった、あるいはそれを構成する要素についても本文中に記載されているので、気になった本・深い理解が必要だと思ったトピックについて、学習を深めることが重要であると思います。そういう、学習のための羅針盤として使われる総合書であると言えると思います。
なお、私は特に、システム思考、ダイアログ(対話)について深い理解が必要であると考えたので、追加で調査を行っています。
組織の変革には苦難が伴うと理解して、それと向き合う人には非常にいい本です。しかし残念ながら、これ1冊に全ての答え、やり方が書いてあると考えると期待を裏切られると思います。